Abstracts
世界の中の日本の将来を考えるとき、まず「日本」とは何かを考える必要があろう。「日本」とは何か、それを構成する「日本人」の「境界」はどのように作ら れるのか、猪瀬直樹氏のエッセー『世界史の中の日本の将来』の批判的読解を通して考える。「日本」も「日本人」ももはや自明のものではない。しかしもしそ れをあたかも自然なもののように前提したとき、その言説は、ひとりひとりの個人にとって、境界の外にいる人にとって、息苦しい、あるいは抑圧的なものとも なりうる。世界史の中の「例外」ではなく、「多様性のひとつ」としての日本が主張される理由がそこにある。
Résumé
Méditer sur le futur du Japon dans le monde demande que l’on définisse d’abord ce qu’est le « Japon ». Kyoko Naiki propose ici une lecture critique de l’essai rédigé par Naoki Inose, « Le futur du Japon face à l’histoire du monde », publié à Sens Public en mai 2010, qui offre l’opportunité de repenser à la définition du dit-Japon et à sa composante, la « frontière », qui enserre « les Japonais ». Ni le « Japon » ni les « Japonais » ne sont plus des faits évidents ; quand ils sont exprimés comme tels, le discours peut produire une atmosphère corporatiste, étouffante pour les individus ou violente pour ceux qui se trouvent à l’extérieur de la « frontière ». Selon Kyoko Naiki, le futur du Japon doit être recherché comme composante de la diversité mondiale plutôt que comme une « exception » face à l’histoire du monde.
Article body
『世界史の中の日本の将来』にあった猪瀬氏の歴史観と将来の展望を興味深く読んだ。以前「フランスのエスプリ」"l’esprit français"の語の持つイメージ分析を日仏インターネットの検索結果から調べたことがあるが、おもしろいことに、日本語検索エンジンでは、「江戸の粋」に関する結果も同時にいくつか上がってきた。どちらも日常生活の習慣の美意識、感覚的なものを愉しむ余裕のある社会というイメージが、日本人の中にはあるのであろう。フランスは現存し、多くの観光客をひきつけている。江戸は残念ながらもうないが、当時の先人の知恵や技術に目線を合わせ、現代に生かそうとする猪瀬氏の着想には深く共感するものである。著書の『ゼロ成長の国富論』[1] でも、そのような氏の着眼点から先進的なアイデアが提案されている。
近代化は日本に多くの恩恵をもたらしたが、それ以前に育まれた技巧や美意識、先人の知恵は、近代化と経済発展の中で生きられるものから単なるノスタルジーへと変えられていった。それも公的に。例えば、洋楽中心の中学校の音楽指導要領で和楽器が必修となったのは、今世紀に入ってからのことである。一方で、世界の中での「日本人アイデンティティ」を構成してきた戦後の経済成長が行き詰まりを見せる今日、精神的な欠如感、アンビバレントなルサンチマンを感じる人が増えているかもしれない。あたかもそれが西欧近代化の恩恵の代償であるかのように。そんな中、猪瀬氏が語る展望は、「実は私たちは欠如していないのだ」と宣言するものであり、不安な社会の中にある種の高揚感を与えるものとなりうるものであろう。
氏は優れた歴史家であり小説家であり、史実と小説のあいだを漂う作風は、淡々としていながら高揚感があり、美しい。しかしいまや政治の場にも身をおく氏が、世界の中の日本を「例外」として語る時、そこに猪瀬史観の文学性が政治的ロマン主義へと変質していく可能性を感じ、読後にある種の違和感が残る。先人の知恵を参照するのは、その独自性の中に見出した先進性ゆえであるが、それを「例外」として本質主義的に日本の守護神のように捉えるのは、あたかも神話を公定化するような危うさを感じるからである。
文化を差異からのみ捉えた途端、文化そのものの中身は蒸発し、単なる差異の記号だけが抜け殻のように残る。文学が政治的位相に持ち込まれるとき、感覚されていたロマンチシズムは、主語が消し去られた抑圧的な空気となりうる。猪瀬氏は多くの知性的なファンを持つ大作家であり、政治的な場面では改革の旗手と目される。社会的にも政治的にも大きな影響力を持つ。それゆえここで、私が猪瀬氏の寄稿文からふと感じたことを、文化本質主義と政治的なロマン主義が何であるかを通して考えてみたいと思う。最初に述べておくと、何を美しいと思うのか、どう感じるのか、そのような感受性は個人の心の中にある。それを外在化して、あたかも判断や感じ方の規範のようにするのは、個人を集団主義へと従属させる「視えない制度」化であるということである。個人の審美眼や感受性を外在化し政治的空間においたとき、美しく見えていたものは陳腐で奇妙なものになっている。それを押し付けるのが、集団主義の暴力である。これはもちろん猪瀬氏自身が抑圧的で暴力的だというものではない。氏自身は優れた文化人であるにも関わらず、その知的教養の高さ、文学性が外在化され、そのような状態を作り出す可能性があることの逆説的な危うさについて、ここで考えて見たいと思う。
最初に、「例外としての日本」という立ち位置がもつ文化本質主義な響きについてであるが、ここでの「日本性」の外在化は他者の目を通して行われている。文中、大きな白熊を前に「扇子をかざして綱渡りする小さなサムライ」が出てくる。日露戦争開戦当時、欧米が日本に向けたまなざしである。「例外としての日本」は差異としての他者イメージを今なお自ら領有し、「ニッポン」として主体化するものであるように感じる。それはちょうど、つい最近宇宙から発信された「日本文化」、日本人宇宙飛行士がキモノ姿で扇子を持って宙返りをした光景とも重なる。あのキモノの任務は「洋服でない」という差異を示すことであり、それは「文化」というオブラートに包まれた示威的なパフォーマンスであった。ニュースで伝えられた「生地は京都の最高綿を手染め」という物質的な事実も、メディアの言説の中で「本物のニッポン性」という差異化の情報に変容する。
「日本文化」を表象されられたあのキモノは、まるで仮装用品の売り場にある商品のようでもある。そこには「サムライ」をはじめ、「ゲイシャ」、「マリリン」、「ナポレオン」、あるゆる差異がポリエステルでできたパーツとなって売られている。今日「白熊」は国際宇宙ステーションの同居人となったが、「サムライ」の光景は百年前と変わっていない。単にそれがカリカチュアの他者イメージという「裏」から、自己同一性として主体化された「表」なっているだけだ。そしてその「サムライ」は、相変わらず仮装用のような奇妙なキモノを着つづけているが、同じイメージの裏表である以上それは変えようがない。それはつまり、「例外的だからサムライとして表象されたのだ」、「サムライだから例外なのだ」と説明するトートロジーの中で今でも自らを定義し続けているということである。
猪瀬氏は美しい文章をつむぐ作家である。それゆえその「日本」という自己像が、他者の視点を通した「例外」というトートロジーであることを残念に感じるのである。そしてまた、「アジアにありながら唯一の成熟国家」と言う語感は日本のかつての帝国主義を思いおこさせるものでもあり、穏やかな感じがしない。他者との関係性からのみ自分をとらえようとすると、どうしても優越感が必要となり、それはショーヴィニズムにもつながる。優越感は同時に劣等感の裏返しでもある。こうした「日本人意識」とはつまり、何か心の内から湧き出る心性というより、日本人がこれらの意識を感じることを自明のこととし、日本人だから同様に感じるはずだ、というトートロジーの前提より外から保持されるものといっていい。自らの文化を誇らしく思うのは当たり前だが、それには優越感を感じる必要も、劣等感を感じる理由もないはずである。この自己矛盾が、トートロジーの綻びを示している。
もちろん、自分を他者に対して優越的に捉える複数の「中心」が、世界の中で共存することは可能である。そこで必要となるのは寛容性である。しかし寛容性よりむしろ、他者に対して尊重を持って接する「日本像」の方が、今の時代の要求に即しているのではないか。そして「例外」ではなく、多様性の中の「一つ」として、日本の魅力をアジアの中、世界の中で発信していくことができたらいいのではないかと思うのである。原爆投下後、世界史はもはや近代化ではなく、発展の段階で書き綴られる。ここでの段階は史的というよりも空間的である。どの階に行くかが年代記順に決まるとは、必ずしも限らないからだ。温故知新の考えはそれだからこそ説得力を持つものとなりえる。「近代」を生んだ西欧、「例外」になった日本、そして「例外」になれなかった非・西欧諸国が脱植民地化の過程で生み出す英知、二十一世紀の今日、近代化時代の地政図も、どれが先進で優越しているという自明性のある判断基準も、もう存在しない。
現代において、近代も伝統文化も「ヨーロッパ」も「日本」もすでに自明性を失い、再帰的に存在する。歴史は連続していないし、連続しているように見えるのは歴史性である。それなのに、「日本性」を自明のものとし、共通の価値観として押し付ける空気がいまだ色濃く残る。たとえそれが人間国宝の作家の手による着物であったとしても、「日本人なんだから美しいと思うはずだ」といわれのない前提をされた途端、それは「キモノ性」という記号に変換され、美しかった物質は知らない間にてらてらとしたポリエステルに姿を変えている。それが文化本質主義のいやらしさであり、暴力である。
猪瀬氏は、「ヨーロッパでもなく、アジアで唯一の成熟国家の日本にはもともと右とか左などという概念がない」という。その捉えがある種の政治的ロマンティズムを感じさせるのは、そこに戦前の日本主義、日本精神論、神道論といった全体主義的国体論に見られるような、古き良き前近代時代に想いを馳せるロマンティシズムを彷彿させるものがあるためである [2]。もちろん、猪瀬氏自身が同様のイデオローグであると言っているのではない [3]。その著作の中で、日米開戦前の1941年には、科学的なシュミレーションにより開戦の場合は敗戦必至というデータが報告されていたのにもかかわらず、結局不合理な「精神論」に流されてしまった当時の「空気」、官僚制という国家制度の不条理を、猪瀬氏は実証的に描き出している [4]。ここで指摘したようなことは、近代史に造詣の深い氏であれば全てご存知のことであろう。それゆえに、これらの表現の真意を測りかねるばかりなのである。
「右左の概念」が「もともと」ないとしたら何があるのか。何か近代を超越するものがあるのか、それが個人の自由の抑圧にならないのか、歴史の波間を漂うような寄稿文の表現からは掴み取ることができない。すでに述べたように、「もともと」というのは再帰的に存在する。つまりそれは自然ではなく作為である。古代、江戸時代、明治時代、農民の文化、武家文化、色々な宗教的価値観、色々な時代の色々な要素のつぎはぎを、あたかも自然のように存在させるものである。それが開国以前の江戸時代なのか、開国以前の日本に奥義を求めた二十世紀初頭なのかはっきりしないのに、「もともと」があたかも自然であるかのように、あたかも「日本人」ならそのロマンティックな懐古主義に感動し共有することが当然であるかのように、さらりと使われている。そこに「日本人」という全体が個人の存在を覆い隠すものになりかねない危うさを感じ、違和感が後に残った。
鎖国時代、権威主義が権威ではなく運命と感じられていた当時は「右」も「左」もなかったのかもかも知れないが、現在の日本はそうではないし、もう鎖国時代には戻れない。憲法が謳う国民主権と基本的人権は、「誰か、何かに決められる」ことではなく、「自分で決める」ことを全ての人に保障するものである。決定は、「右」から「左」までの多様な意見をすり合わせて行っていくものであるし、そのための制度もある。猪瀬氏が史実を元に明らかにしたように、よそよそしい制度としての国家は不条理しか生み出さない。しかしもし「国家の不条理からの人々の解放」が、同時に別の何かもっと自然で有機的な「もともとの状態」に包含されることであるとしたら、そこに包含されない個人の自由を保障するのは、今のところは国家のような制度しかない。国家の暴力を防ぐためには、「もともと」に立ち返るのではなく、市民社会の成熟による国家制度と人間の距離を狭めることを目指したいというのが私の立場である。
一人一人の個人が自分の言葉を持ち、制度を自分の味方につけて使いこなせるようになったとき、家父長的なおせっかいや知的エリートの指導から独り立ちし、日本の市民社会は本当の意味で成熟に達することができる。自由な感受性が生き生きと発露する文化的成熟が達成されたとき、集団主義的な文化的同質性の押し付けに対して、「そんな奇妙なキモノを着せられなくても、私は内から『日本人』だ」、と一人一人が自分の言葉で言えるようになる。そうなったとき、「サムライ」のトートロジーから抜け出し、「江戸の粋」を憧れではなく、自分の中に息づくものとすることができるであろう。これこそが、脱工業化時代の日本が探すべき新たな段階の方向性ではないだろうか。
この批評執筆をきっかけに、猪瀬氏の膨大な著作のうちいくつかを読んだ。一読に値するすばらしいものであったことを付け加えておく。
Appendices
Notes
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[1]
2005年、文藝春秋社。
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[2]
例えば、赤澤よると、米国人特派員であったW.T.メーソンの神道論は明治以来の日本の近代化の成功と、それにも関わらず前近代的なものを残している点を、西欧文明を超える優れた文明の明かしであるとして讃美する一種の比較日本文化論であり、恐慌期の不安にさいなまれた都市知識人をとりこにしたという(赤澤史郎、1985年、『現代日本の思想動員と宗教統制』、校倉書房)。
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[3]
猪瀬氏の見る近代天皇制と当時の国体論は、価値判断が言語化されていないという点で、決定的に違う。猪瀬氏自身の直接的な言葉に天皇制讃美は決してない。しかし、何らかのイメージが「視えない制度」としての近代天皇制に手向けられていることは感じられる。例えば『天皇の影法師』(2002年、小学館)は、元号にまつわる俗世間の出来事を描き出した現代の民俗誌であるが、そこで「視えない制度」に手向けられているのは言葉ではなく、作品全体がつむぎだす淡々とした美しさとある種の高揚感であるように感じられる。
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[4]
2002年、『日本人はなぜ戦争をしたか-昭和16年夏の敗戦(日本の近代 猪瀬直樹著作集)』、小学館および2007年、『空気と戦争』、文藝春秋社。